失われた”チヤホヤされていたかもしれない人生”

1973年、第二次ベビーブーム、ピークの年に生まれた私。
 
 
 
  
 
高校生の頃、世間は「女子大生ブーム」、ガキとして相手にされません。
 
1年浪人して大学に入った時には「コギャルブーム」、オバサンとして相手にされません。
  
  
 
失われた30年ならぬ、失われた1973年生まれ
 
 
 
大学受験時の倍率も、むっちゃ高かったです。そりゃ、ピークですもの。
そして、1年浪人してやっとこさ入った大学。
 
選んだ大学と学部が悪かったか……(京都大学経済学部)、
クラス55人中、女は5人。1割以下です。
 
そんなことを言うと、「それだけしか女の子がいなかったら、モテモテだったでしょ〜」なんて言う人もいますが、とんでもない。
 
ほとんどの男の子たちは、近隣の女子大に走ります。
 
そして、女の子もクラスには私以外で4人しかいないので、残る50人の男の子たちとも’仲良くやっていかないと……!
 
私の生きる道は2択しかありません。
どう考えても、「チヤホヤされるかわいらしい女の子キャラ」での自分の生きていく道はない、と思った私が選んだ道は……、
 
「男と同化してしまう」
 
でした。
同じ話題でガッハッハ〜と盛り上がり、笑えるキャラです。
 
20歳になるかならないかの男子学生の話題なんてほんまにサル状態。ウッキ〜、ウキウキ、のお下劣なお猿さん……。
 
そういう話を目の前でされて、「もう、いやだ〜、●●君たら!」(ポッ)ではなく、「へ〜、それで、それで?( ̄ー ̄)ニヤリ」というキャラ。
 
自ら選び取ったわけではなく、「生きるか、死ぬか」の選択で仕方なく選んだ、(やや)おっさんキャラ。
 
 
ちなみに、世間でどう思われているかはわかりませんが、京大にもかわいい女の子は結構います。(「探偵ナイトスクープ!」の3代目秘書だった松尾依里佳は経済学部の後輩♪)
 
そうした、かわいい女の子がかわいらしく振る舞い、チヤホヤされているのを横目に、自らをわきまえ、おっさんな私。
 
 
入ったサークルでも、「ここで私の立ち位置を確保せねば」と、率先して、男どもの話題の荒波に飛び込んでいきます。
 
それがベストの選択だと信じて……。
 
そんなある日、普段、あまり話したことのなかったサークルの先輩に言われました。
 
 
 
「ろこちゃん、結構かわいいかな〜と思って見てたけど、いやー、喋ったら全然だね!」とゲラゲラ笑いながら言われました。
 
 
え、えええええー、かわいいキャラでも行けたのか?!
 
しかーーーーし、ときすでに遅し……。
 
 
 
 
時は不可逆。
いまさら、かわいいキャラでは売り込めません!
 
 
 
初期設定は大切です。
 
「失われた”チヤホヤされていたかもしれない人生”」であります……。
 

 
「あーあ、あんなことせえへんかったらよかったのに……」と、失敗を嘆きたくなるような時、そんなの思い返せば、いつまでもどこまでも山のようにあります。
 
けどね、そんなん嘆いてていいことありますか?
 
いいことがあるんだったら、「あの時、あーしておけばよかった、こーしておけばよかった」って、ずっと過去を悔やみ続けててもいいけど、そんなんクソおもんないでしょ?
(あら、雅な京女なのに、お下品な言葉遣いをしてしまったわ、オホホ)
 
過去のマイナスと思えていた事象を、プラスに変える魔法の言葉、「あれはあれでよかったんだ」
 
口に出して、言ってみてください。
 
何回も口に出してたら、なんとなく、「ああ、よかったのかもな?」という気になってきます。
 
「ああ、よかったのかもな?」の思いになったら、なんでかな?の理由を勝手に自分の脳が探し出してくれます。
 
 
私も、幻の(?!)「チヤホヤされ人生」を放棄したおかげで、いろーんな男の子たちと気さくに、ガハハで話せました。
 
「チヤホヤされ」のかわいいキャラで売っていたら、きっとパッカー時代も男の子とツインの部屋をシェアすることなんてできなかったでしょう。
(パッカーは、お金節約のため、男女でツインの部屋をシェアすることは珍しくない→何ごとも間違いは起こりません!)
 
だから、私は大学時代の自分の初期設定(?)の選択は、「あれはあれでよかったんだ」と思います。
だからこそ、今の自分があるんやしね、って。

〜自分の生きる人生を愛せ。
自分の愛する人生を生きろ〜
 
ボブ・マーリー

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