語学学習に失敗はつきもの。
アメリカはボストンで、英語の下手なヒスパニック系タクシードライバーに「おまえはどうしてそんなに英語が下手なんだ!」と説教を食らったことのある私、インドネシア語の下手くそっぷりもなかなかなもの(←なんの自慢にもならない)。
インドネシア語でもたくさん失敗をしてきましたー。
(たぶん、インドネシア語学習者あるある)
masuk angin(masuk=入る、angin=風)→「風邪をひく」
を、間違えて
masuk anjin(anjin=犬)→「犬が入る」???
と言ってみたり、
es kelapa muda (es=氷、冷たい、kelapa=ココナッツ、muda=若い、熟してない)→「氷の入ったココナツ果肉入りジュース(?)」
を、間違えて
es kepala muda(kepala=頭)→「若い頭の氷入り……、幼児の頭の氷入り……」???
完全にスプラッタの世界に入ってみたり……。
同様に、日本語学習者の間違いも「日本語学習者あるある」がありますが……、
インドネシアはジャカルタの私立の外大で日本語講師をしていたときのこと。
初級クラスの会話の定期テストでのことです。
会話と言っても、初級なので文型が入っているか……くらいの簡単なものです。
「あなたは、何のために日本語を勉強していますか?」
「日本の会社で働くために」とか、「日本人と結婚するために」とか、そんな答えが返ってきます。
クラスに一人、インドネシアにある日本のお寺の修行僧で、日本で仏教を学ぶために日本語を勉強している、というやや異色な男の子がいました。
昔のマルコメ味噌のCMに出てきそうな丸坊主頭の、素直でかわいく、とても真面目な男の子です。
彼に、同じ質問を投げかけたところ……、
「お、お、おおおおおおおお、
おばあさんになるために……、日本語を勉強しています」
「おばあさん」と「おぼうさん」、一字違いで大違いです。
彼がその夢を実現させるためには、ちょっとタイあたりに足を伸ばさなければいけなさそうです……。
「テスト」だったので、その場で間違いを指摘することはできず、笑いをこらえながら試験終了。(まじめな男の子だったので、他でちゃんと点数を取っていて、合格でした)
彼はその後、無事道を踏み外す(?)ことなく、タイではなくてちゃんと日本に留学に来て学び、立派なお坊さんになりました。
(あ、この発言も、昨今の多様性容認の空気の中ではアウト?)
*
語学を習得する時には、こうした間違いはつきもの。
「つまらないものですが……」と言おうとして、
「くだらないものですが……」と言って、私に卒論指導お礼の品を渡してくれた学生などなど、こうしたエピソードはてんこ盛り。
ただ、一つ言えるのは、こうした言い間違いの失敗を恐れずにガンガン発話してきた子たちの上達スピードは、間違うことを恥ずかしがってモジモジしてた子たちよりもずっと速かったということ。
(ただし、間違いを指摘して、ちゃんと修正した子に限る)
語学学習に限らず、これは何にでも当てはまること。
失敗したらどうしよーーーー、と動かなかったら、な〜〜〜〜んにも変わりません。
いや、変化の激しい現代だったら、動く歩道上で止まっていることと同じ。
行動しないこと、すなわち衰退していくと同義と言っても過言ではないでしょう。
失敗を恐れるな〜〜〜。
(とはいえ、ちょっと私の失敗は数が多いかも?!)
〜当たってくじけろ〜
いいまつがい